ギレルモ・デル・トロが(心・恐怖・人間性)を宿して再生させた「フランケンシュタイン」

メアリー・シェリーの原作小説を、より残酷さを抑えた怪物を中心に据えた脚本へと作り替え、それを「ヘルボーイ」シリーズの監督へ渡すすると生まれたのが、Netflix版「フランケンシュタイン」である。物語は原作と同じく、1857年の凍てつく荒野から幕を開ける。デンマーク王立海軍の艦船ホリソント号は、北極点を目指す宿命の遠征中、逃れられぬ巨大な氷塊に閉ざされてしまう。そこで乗組員たちは瀕死の男、ヴィクター・フランケンシュタイン男爵を救出する。しかしその静寂は一瞬で破られる夜の北極に怪物が姿を現し、創造主を引き渡せと迫るのだ。絶望に沈み、追い詰められたヴィクターはアンダーソン艦長に真実を告白する。怪物とは他人ではなく、自らの創造物であり、その誕生には天才が恐怖へと堕ちていく物語が潜んでいるのだと。

ヴィクターの物語は悲劇から始まる。母は弟ウィリアムを出産する際に命を落とし、やがてウィリアムは父高名だが冷酷な医師の溺愛を一身に受ける存在となる。喪失に心を砕かれ、虐待により心を硬く閉ざしたヴィクターは、死そのものに抗うことを誓う。彼の才気はやがて執念へ、野望は傲慢へと変わり果てていく。1855年、禁断の知識を追い求めた果てに、彼はついに転落する。エディンバラ王立外科医師会で、死体蘇生の凄惨な実験を披露したことで評議会を震撼させ、追放されてしまうのだ。

そこに現れるのが、狡猾な武器商人ハーインリヒ・ハーランダーである。彼はヴィクターに巨額の資金と、見捨てられた塔を与える邪悪な研究にはうってつけの隠れ家だった。ウィリアムも不本意ながらその暗き計画に巻き込まれ、塔は科学と罪悪が渦巻く(神殿)へと変貌していく。その混乱の中で、ヴィクターはハーランダーの美しい姪エリザベスに心奪われるが、彼女はウィリアムの許嫁であった。

そしてついに、科学が生み落とした(怪物)の存在が壊れやすい均衡を打ち砕く。

ギレルモ・デル・トロの「フランケンシュタイン」は、まるで彼が生まれながらにして作るべき作品だったかのような出来栄えである。荘厳さと痛切さを兼ね備えた再解釈であり、シェリーの魂を失うことなく古典神話に新たな命を吹き込んでいる。デル・トロ特有のゴシック美と情感が物語を満たし、執念・残酷・孤独が織りなす親密な悲劇へと昇華している。

作品にはデル・トロらしい美意識が色濃く宿る緻密に作り込まれたセット、揺らめく影、恐ろしくも美しいクリーチャーたち。画面に映るものはすべて、暗く魅惑的な絵本の中を歩くような感覚を呼び起こす。実際の特殊メイクと実物効果は驚異的で、怪物に生々しさと胸を締めつけるような哀しみを与えている。ひとつひとつの傷、縫い目が物語を語り、恐怖の裏側にある精緻な芸術性を浮き彫りにする。

ヴィクターを演じるオスカー・アイザックは圧巻だ。天才にして狂気、そして野望に壊されていく男を見事に体現する。一方、怪物役のジェイコブ・エロルディは、静かで痛ましい脆さを抱えた演技で、かつてないほど(人間味ある怪物)を描き出す。デル・トロの指揮のもと、二人が紡ぐ関係性は作品の感情的中心となり、デヴィッド・ブラッドリーの優しいカメオを含む充実した脇役陣が物語にさらに深みを加えている。

「フランケンシュタイン』はこれまで幾度となく映像化されてきたが、デル・トロ版は群を抜いて際立つ存在であり、単なる再演ではなく、新たな世代のための決定版)と呼べる作品となっている。」