若きカンボジア人アーティスト、独自のホイールで自動車デザインを再定義

プノンペンの高級コンドミニアムの地下駐車場。
一台のマクラーレン 720S ロングテールが静かに佇んでいる。その足元を支えるのは、ウォーキングでも横浜でもモデナでもなく、20代の若いクメール人起業家が手がけた特注カーボンファイバー製ホイールだ。リム、タイヤ、ボディの位置関係はミリ単位で整合し、マクラーレン・スペシャル・オペレーションズの技術者でも納得するほど精密だ。だが、参照した技術マニュアルなど存在しない。メジャー1本を頼りに測定した数値から生まれたものだ。

このホイールを作ったのは、独学のデザイナー、RTN Custom Wheels創業者のラッタナック。今日、成熟しつつあるカンボジアのカーカルチャーにおいて、RTNの物語は、多くのドライバーが街中で特異なホイールを見かけ、「誰が作ったのだろう」と思った瞬間から始まる。

偶然から始まった起業

RTNの出発点は、スーパーカーの姿からは想像できないほど素朴だった。4年前、ラッタナックは建築学科2年生。寡黙で几帳面な彼は、夕方は建築図面を描き、夜になると自動車フォーラムを読み漁る日々を送っていた。車は好きだったが、車業界で働くことは考えてもいなかった。

転機は兄のひと言だった。
「どんなホイールがいいかな?」

「普通じゃない、ちゃんと“ハマる”デザインが欲しい」と兄に頼まれ、ラッタナックはYouTubeを開いた。

アメリカや日本のチューニングチャンネルで、オフセット、リム幅、スクラブ半径、スタンスの数学、サスペンションの挙動、鍛造ホイールの強度などを徹底的に学んだ。
スタンス(極端に低扁平+ワイド)、フラッシュ(フェンダーとホイールの完全一致)、ポーク(オフロード向けの張り出し)の違いも理解し、オフセット1ミリの変化が車体姿勢をどう変えるかを研究した。

「情報がない車は、全部自分で測るしかないんです」と振り返る。

メジャー1本で生まれたビジネス

ビジネスとしてのRTNは、華やかな戦略からではなく、生活の現実から生まれた。

建築事務所でのインターン給与は月200ドル。
「建築は好きでした。でもカンボジアで生活するのは難しいと感じました」

一方、兄の車に取り付けたホイールは仲間内で評判を呼び、友人、さらにその友人へと依頼が広がった。ラッタナックは中国の“良い工場”から鍛造ホイールを仕入れ、CNC加工されたワンピース、2ピース、3ピースの鍛造リムを組み合わせて提案するようになった。

こうしてRTNは2020年、彼が建築学科2年の時に誕生した。

保守的な市場に新風を吹き込む

カンボジアのタイヤ・ホイール店の多くは、純正サイズから外れることを恐れ、挑戦を避けてきた。「失敗したら店側が負担する必要があるため、みんな安全策を取るんです」とラッタナックは語る。

その結果、多くの車はホイールが内側に引っ込み、力強さのない“物足りない”見た目になっていた。

ラッタナックは妥協しない。車、ドライバー、道路状況に合わせてオフセットを計算し、フラッシュフィットこそ性能とデザインの最適解だと提案した。適切なサイズのホイールはグリップを高め、適正なタイヤはハンドリングを変え、オフセットの最適化は車の姿そのものを変える。

気づけば、彼の顧客の車が最高の広告になっていた。
口コミはRTNの売上の60%を占める。

カンボジア発の若きブランドがスーパーカーへ

現在、RTNのホイールはランボルギーニ・アヴェンタドールSVJ、ポルシェ各モデル、メルセデスAMG、そしてあのマクラーレン720Sロングテールにも装着されている。

ロングテールは特に難しかった。参考データは一切存在せず、誤差は許されない。「ブレーキ、サスペンション、フェンダー、ステアリング角度……全部測りました」

完成品は、プノンペンのスーパーカーコミュニティの間で話題となった。

RTNの強みはデザインだけではない。製作前には3Dモデルを用いた詳細なレンダリングを提供し、鍛造構造にこだわる。「鋳造と鍛造の違いは、金属を削り出すか、溶かして流し込むかの違いです」

BBK(ビッグブレーキキット)も扱い、BremboやAP Racingと組み合わせて安全性を高めている。「大径ホイールなのに小さなブレーキだと不自然ですし、何より安全面で重要です」
未来の工場へ、さらに大きな構想

ラッタナックの視線はすでに次のステージを見据えている。
目標はカンボジア国内にCNC製造工場を建て、ホイールや希少部品を国産化すること。

「タイヤ工場はあるんです。ホイール工場があっても良いはずです」

将来的にはデザインスタジオ、輸出体制、パフォーマンスガレージとの連携、そして彼の二つの情熱を組み合わせた“自動車テーマのレストラン”まで構想しているという。
ホイール以上のものを再設計する若者

ラッタナックは自動車業界の家庭出身でも、欧米の教育を受けたエリートでもない。正式な工学教育を受けた技術者でもない。それでも、YouTubeと独学を武器にカンボジアの新しい自動車文化の一端を形作っている。

「他の国ではホイール文化は何十年もあります。でもカンボジアは始まったばかり。伸びしろはたくさんあります」

そう語りながら、彼は最新作を装着した車を指さした。
フェンダーにぴたりと合うフラッシュのホイールが、彫刻のように光を捉えていた。

「良いフィットメントは、すべてを変えます」